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今月のコラム2回分は、夏祭りに関係するお話をお届けしたいと思います。
タイトルにありますように今回のテーマは、金魚です。
夏祭りといえば、夜店の金魚すくいのことを思い出す方も多いのではないでしょうか。
私も子どものころ、金魚すくいをよくしました。
すくう道具「ポイ」の柄の部分をうまく使い、いけす(プラ舟)の壁面を利用したりして、なるべく紙を破らないように金魚を追いかけた記憶があります。
ところで、「ポイ」という名前の語源をご存知でしょうか。
調べてみると諸説あるようで、「金魚をポイポイとすくうから」という説や、「使い終わったらポイっと捨てるから」という説があるようです。
少し俗っぽい響きがあるので個人的には、後者の説に妙に納得してしまいました。
昭和30年代にはプラスチックのポイやビニール袋が使われたそうで、原料となる石油の供給が安定したことでプラスチックが容易に使われるようになったのかもしれませんね。

ところで、金魚のルーツはどこかご存知ですか?
こちらは、中国の揚子江下流が原産地といわれています。
西晋時代(紀元300年頃)の「古今注」という書物に「ヒブナ」というオレンジ色の魚の存在が記されているそうです。
学名はCarassius auratusといい、auratusとはラテン語で「金色の」という意味でまさに金魚の姿を思わせる言葉です。
その後、品種改良によってより濃い赤色が出せるようになったそうです。
日本に初めて金魚がやってきたのは室町時代と言われており、当時は「こがねうお」とか「きんぎょ」と呼ばれて、
貴族や豪商など上流階級の中で高級魚として飼育されていました。
江戸時代になると金魚を飼うブームが起こりました。元禄7年(1694年)に発布された「生類憐れみの令」の際には、
「江戸市中の金魚、銀魚を所持いたすものは、その数など正直に報告し差し出すべし」と御触れが出されたぐらい広まっていたようです。
御触れに従い江戸市中の金魚・銀魚が集められた後は、神奈川県藤沢市にある遊行寺の池に放生されたと言われています。
その後、江戸時代の中期になると藩士が副業として金魚の養殖を始めたおかげでたくさん流通するようになり
金魚の値段も下がったことで庶民の手にも届きやすくなったおかげもあり、文化・文政時代(1804〜1830年)にも再びブームが起こったそうです。
現代でも金魚を大切に飼われている方は少なくありません。下記のブログをご紹介します。
■今回のピックアップ・ブログ
金魚の品評会の話から、SNSでの情報交換やAIによる画像解析についても書かれていて
DXが工場やオフィスだけでなく、人の趣味やコミュニティまでも変えているという興味深い記事です。
ブログ記事とは直接関係ありませんが、私と同じ職場の方からも、お子さんが幼稚園ぐらいの年齢の時に、
金魚すくいですくい上げた金魚が、お子さんが高校生になった頃まで十数年も生きたという話を聞きました。
その金魚は、腰が曲がって色も白くなってしまったとのことです。
金魚すくいで出会った一匹の金魚が思いがけず長い時間を家族と過ごすこともあります。
小さな命を育て、観察し、記録するという楽しみは、昔から変わらないものなのかもしれません。
ネットで検索してみると、飼育記録アプリもいろんなものが出ていますし、
また生成AIを活用して自分専用のWebアプリを作って、それでペットの飼育記録をされているという人までいるのを知って、大変驚きました。
次回も「夏祭り」つながりで、サマーフェスティバルならびに花火をテーマとする予定です。お楽しみに。
2026年8月
株式会社 日立情報通信エンジニアリング
経営戦略本部 ブランド・コミュニケーション部
阿部 哲也
※編集・執筆当時の記事のため、現在の情報と異なる場合があります。編集・執筆の時期については、記事末尾をご覧ください。